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音の鳴り方に耳を向ける、父と私

幼い頃に見た父のスピーカー作りと、家に流れていた音楽。今年、自分でスピーカーを作りながら思い出した光景から、父と私の音の聴き方を振り返ります。

CDが並ぶ棚と大型スピーカーのある部屋で、オーディオ機器を操作する父。

作りかけの大きな箱

CDが並ぶ棚と大型スピーカーのある部屋で、オーディオ機器を操作する父。晩年のオーディオルームを写したもので、本文に出てくる子ども時代の部屋や機材とは異なります。

幼稚園ぐらいの頃、父がタンスのように大きなものを作っていた光景を覚えています。たぶん、自作スピーカーの箱だったのだと思います。

作っているものがスピーカーだということは、なんとなくわかっていました。でも、どんなものになるのかは想像できませんでした。完成してどんな音が出たのかも、今は覚えていません。作りかけの大きな箱だけが、記憶に残っています。

日常の中にあった音楽

小学生の頃、父は理学療法士の仕事に出かける前に、30分ぐらい音楽を聴いていました。帰宅してからも、自分でコーヒーを淹れて楽しんでいたようです。休日には日曜大工もしていましたが、必ず音楽を聴いていたと思います。

オーディオルームは木造の家の2階にありました。音量が大きかったので、同じ部屋にいなくても何を聴いているかは耳に入ってきました。朝はクラシック、夕方や休日はジャズが多かった印象があります。

もっと幼い頃には、シモンズの『恋人もいないのに』を何度もかけてほしいとせがんでいたそうです。これは自分の記憶ではなく、後から両親に聞いた話です。

父が聴いていたシンバル

自分でも音楽をちゃんと聴くようになった頃、CMで流れていたデイヴ・ブルーベック・カルテットの『Take Five』が印象に残りました。父のJBL 4345で聴いたとき、圧倒的なドラムとサックスの音に感動した覚えがあります。

「迫力がすごいね」と話すと、父は「このシンバルの音の鳴り方がいいんだよ」と言っていました。

当時の私には、シンバルの鳴り方の良さはよくわかりませんでした。その頃の4345の音も、今となってはあまり覚えていません。でも今は、シンバルや高音の響きに耳が向きます。

歌詞やメロディーよりも、音がどう鳴っているか、どう聴こえるかが気になる。そういうところは、父と似ているのかなと思います。

中学生の頃、父はスピーカーを2本から4本に増やしました。JBL 4345に加わったのは、TANNOYのWestminsterでした。ジャズはJBL、クラシックはタンノイと使い分けていたようです。12畳のオーディオルームの両側に巨大なスピーカーが並ぶ姿は、子ども心に壮観でした。

自分のレコードを聴く

私には4歳上の姉がいます。戦隊ものの7インチシングルや歌謡曲を「これかけて、かけて」とあまりにせがむので、父は姉と私のためにオーディオのシステムを用意しようと思ったそうです。

小学生の頃、初めて自分で買ったのは、仮面ライダーの曲が入った10インチのアルバムでした。ストロンガーまでの歴代ライダーの曲が入っていて、お気に入りが何曲かありました。ランボルギーニ・カウンタックの音が入った7インチシングルも買いました。走行音やエンジンの音が好きで、何度も聴いていました。

私が中学生の頃、姉がラジカセを買ってもらい、それまで二人で使っていたシステムをひとりで使えるようになりました。姉にすすめられた曲をきっかけに、レコード屋で別のレコードを探したり、友達と情報交換したりして、聴く音楽が広がりました。CMで聴いた曲を買うことも多かった気がします。

ハービー・ハンコックの『ロックイット』が入ったアルバム『フューチャー・ショック』は、父も私も持っていました。「それ、僕も持ってるよ」という感じで、話が盛り上がりました。

私が特に気になったのは、スクラッチの音です。当時は新潟県の田舎に住んでいて、どう演奏しているのかまったく想像できませんでした。「この音はどうやって出すんだろう」。高校に入ってヒップホップを聴くようになり、ようやくわかり始めました。

思春期には、父と曲について話すことはあまりありませんでした。それでも、父がいないときにオーディオルームへ入り、新しい機材が増えていないか、ひそかにチェックしていました。自分のレコードをこっそりかけるのも楽しみでした。

最初はアンプの電源を入れる順番がわからず、大音量で「バチッ」と鳴って、すごくびびったこともあります。父に「この曲を聴かせて」と頼んだとき、その手順を見て覚えていきました。

自分で作って、思い出したこと

今は東京のマンション暮らしなので、あまり大きな音は出せません。それでも今年、自分でスピーカーを作り、これまでとは違う音楽の聴き方を体験しました。

それまでは、スピーカーを作ろうと思ったことはありませんでした。きっかけはYouTubeです。バックロードスピーカーを自作している人がすごく楽しそうで、構造を調べるうちに面白いなと思いました。

作っていると、幼い頃に見た、あの作りかけの大きな箱を思い出しました。やはり血は争えないんだな、と思いました。

子どもの頃のシステムには、何もお願いしていないのに、父が次々と機材を買ってきてくれたこともあります。今思うと、知らず知らずのうちにオーディオの英才教育を受けていた気がします。

日常の中で音楽を聴くこと。音の鳴り方に耳を向けること。そんな聴き方に、父の影響があるのかなと感じています。