ABOUT / TETSUEI IIZUKA
私と、
ものづくり。
クラブミュージックを背景に、飯塚哲栄が企画・製作・販売を一人で手がける個人ブランドです。2003年から続けています。

自分で作り、売る仕事へ
大学を卒業して、長野県と新潟県でペプシコーラなどの清涼飲料水を製造・販売するボトラーに入社しました。長野県内のいくつかの拠点を転勤しながら、営業をしていました。
その後、日本でのペプシコーラの販売がサントリーに移る中で、勤めていた会社も販売を担う会社になりました。私はサントリーの食品部門の関連会社へ、2年間出向しました。
急に大きな組織に入った実感がありました。販売だけを担う立場になって、作ることと売ることの関係を考えるようになりました。「自分で作り、自分で売ることが、利益を生むために大切なのではないか」。漠然と、そんなことを考え始めたのだと思います。
では、自分ひとりに何ができるのか。
木、鉄、布。まずは素材から考えました。少ないスペースで扱えて、素材そのものに価値を感じられるものを探すうちに、革が思い浮かびました。知識はまったくありませんでしたが、私には高級感のある素材に思えました。
次に仕事を変えるなら、一生続けられる仕事にしたい。そう思って、革について調べ始めました。
革製品を作っていると、趣味が高じて仕事になったと思われることもあります。そういう道を歩む方もいると思いますが、私の場合は、一生続けられる仕事を探す中で革を選びました。学ぶことも、作ることも、そこから始まりました。
最初の青いブレスレット
革で作るものといえば、靴やバッグ、アクセサリーが浮かびました。当時は営業で病院や医療関係の施設を訪れていたので、最初に考えたのはナースシューズのオーダーメイドでした。
ある日、渋滞で車がゆっくり進んでいるときに、革の材料屋を見つけました。休日に訪ねて店主に相談すると、靴は流行も変わり、型もたくさん必要なので、個人で始めるのは難しいという話でした。「もっと広い目で革を見てみたら」とすすめられ、その場で初心者向けの道具セットを買いました。
普通なら教材に沿って基礎から学ぶところですが、私はいきなり自分でデザインしたブレスレットを作り始めました。発色のいい青い革を使った、太めのブレスレットです。
決して上手な仕上がりではありませんでした。それでも、考えたものが形になっていく過程も、完成した姿も嬉しかった。自分のブランドを持ちたい、オリジナル商品を作りたいと思うようになりました。
直後に転勤があり、新しい部署の仕事が忙しく、しばらく革のことを考える余裕がなくなりました。半年ほどして仕事に慣れると、また作り始めました。扱う素材も増え、アクセサリーを中心にいろいろ考えたり、作ったりしていたと思います。
音楽と革がつながる
その頃、私は曲を作ったり、DJをしたりしていました。自分の得意なジャンルと革製品を結びつけられないか。そこで思いついたのが、ターンテーブルでレコードの下に敷くスリップマットでした。
当時は、革には静電気の面で利点があると考えていました。レコードを置いていないときも、インテリアとして映えるのではないかと思いました。
最初に作ったものは重く、実用には耐えませんでした。ただ、レコードをキューイングしたとき、手に伝わる革の質感に驚きました。一般的なフェルト製のものとは、明らかに違うタッチでした。
表側に約1mmの牛革、裏側に抵抗の少ない0.8mmの豚革を貼り合わせ、ミシンで縫う仕様を試しました。ようやく使える程度にはなりましたが、激しいキューイングやスクラッチには、まだ重さがありました。
そこで表側を、0.5〜0.6mmの豚革のスウェードに変えました。下に薄いビニール製のスリップシートを2枚重ねると、さらに軽いタッチになりました。今のスウェード製スリップマットは、こうして試しながら作ってきたものです。
根拠のない自信が崩れたとき
転勤先の仕事に慣れると、自分の先の人生を考える余裕ができました。本当にやってみたいことがあるのに挑戦しないのは、自分に嘘をついているように感じました。その気持ちを抱えたまま会社員を続けることにも、抵抗がありました。
仕事の後や休日に、自分のブランドについて考えるほど気持ちが盛り上がりました。当時の革製品の技術は、まったく高くなかったと思います。それでも、なぜか根拠のない自信がありました。
10年勤めた会社を辞め、退職金で革用のミシンと革漉き機を買いました。店舗と自宅を別々に借りると費用がかかるので、店舗兼住宅を探しました。場所は特に決めていませんでしたが、結果的には勤めていた職場の近くになりました。
店の内装はひとりで作りました。根拠のない自信はまだ続いていて、毎日ワクワクしていました。
ところが1か月ほどして、見ず知らずの人に買っていただける商品が、まだほとんどないことに気づきました。自信が崩れていきました。
何かを作る前に、会社員から、ひとりで生きていく商人へと考え方を変えなければならない。そう思って、さまざまな本を読みました。
会社員の頃は、担当する仕事をある程度していれば給料を受け取れました。独立してからは、自分で作った商品を買っていただき、その売り上げで生きていく。そのために何をするべきか、どんな気持ちで商品を作るべきかを痛感しました。
使い続ける時間を考える
私は、もともと手先が器用だったわけではありません。子どもの頃のプラモデルも、完成を急ぐあまり、途中の作業が雑になることがよくありました。
それでも、自分の商品を買っていただいて生きていくと決めた以上、人様から文句が出ないような完成度を求めなければならない。強くそう思いました。
商品を考えるときは、使う場面と、使い続けた先を想像するようになりました。素材の選び方、縫製、部品の組み込み方まで、見た目と耐久性の両方を考えて設計しています。
今販売しているトートバッグは、ハンドルを取り外せます。一番傷みやすい部分を交換でき、色や長さも変えられます。使う場面が変わっても、使い続けられるように考えました。
続けるほど、積み重なる仕事
私にとって一生の仕事とは、経験を重ねるほど、センスや技術が積み重なっていく仕事です。
お寿司屋さんに例えると、若い頃は「威勢がいいね」「元気があるね」と言われ、年を重ねると熟練の深みのある仕事ができるようになる。そういう仕事をしたいと思っていました。
2003年に始めてから、20年以上が経ちました。いろいろな出来事があり、事業の規模も変わりました。それでも、続けることに意味があるという思いは変わっていません。
アイデアを考え、試作し、作って、売る。創業当時から今まで、すべて自分の力で行っています。
FROM CRAFT TO SOUND
私にとって、DUBは音の響き。
さまざまなクラブミュージックを聴くなかで、音の鳴りや響きに惹かれてきました。自分の理想とするサウンドを求める思いが、DUB it ALLにつながっています。
DUB it ALL ↗
